教団紹介(ウェスレアン・ホーリネス教団の沿革)

ウェスレアン・ホーリネス教団は日本基督教団(以下日基教団とする)から離脱して成立した団体です。第二次世界大戦以前のホーリネス系の歴史については詳細を記した本が出版されていますので、ここでは省略しますが、戦時体制のもと、日基教団としてほとんどのキリスト教諸教派が統合されました。その中で、旧日本ホーリネス教会の流れにある教会が治安維持法による弾圧を受けたのでした。終戦後間もない時期に、ホーリネス系の諸教会の多くは新教団を設立しました。そのような中で、ウェスレアン・ホーリネス教団の前身である日基教団ホーリネスの群(現在も存続している)は1946年5月の春季復興全国大会において、教団にありつつホーリネス信仰を堅持する純正な福音をもって、日本の福音化のための推進力となろうと決意し、第一歩を踏み出しました。当時の教団内において先輩の先生方の多くが投獄されていた団体でもあり、教団のなかでも重要な立場に置かれていました。

そして教団は1946年に教憲・教規を定めて会議制により戦時体制を脱却して、新しい教団形成に向けて前進しました。そして部制であった旧教派の組織を公式に解散して、合同教会の信仰の柱として信仰告白の制定に取り組んだのです。1954年に「日本基督教団信仰告白」が制定され、「聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ、その御業を成就したまふ」の告白文の解説で北森嘉蔵は次のように述べています。「プロテスタントの信仰告白でこれほど明確に聖化の固有性を表現したものは、見あたらないと思います。この成就という言葉はPerfectionというウェスレーの有名な言葉を想起せしめるでありましょう。ウェスレーの信仰に従う教会的伝統はここに固有の位置を与えられたといえます」(北森嘉蔵著『信仰告白解説』)

しかし、北森はその後のところで、「教団の信仰告白の最も画期的な点は、赦しから潔めへの展開をつなぐ一句として『この変わらざる恵みのうちに』という言葉を入れたところにあります」と語り、「救いの確かさはあくまでも罪の赦しにあること明らかにする」ためであると語っていますので、「第二の恵み」や「更にまされる恵み」というウェスレアン信仰の立場からしますと、不十分であると指摘せざるをえません。

さて1967年に教団議長鈴木正久の名にて「第二次世界大戦下における日基教団の責任についての告白」(以下「戦責告白」)が発表され、1969年より教師検定試験の中止を求めて、いわゆる「教団紛争」が勃発しました。社会派と呼ばれる人々は教団信仰告白よりも「戦責告白」の優位性を強調し、暴力によって教団総会、教区総会を粉砕しました。教団執行部は暴力的な勢力を排除出来ずに、むしろ内に取り込むかたちで教団を運営するように妥協をしてしまいました。

総会が開催されない中で、常議員会による教師検定試験委員会が開催され、「イエスはキリストである」との信仰告白を基準とする試験が1971年に実施されたのです。しかし、これに反対する勢力からの「信仰告白による切り捨て」だという批判に屈して、1975年の第2回常議員会では「制度的・内容的に様々な立場の切り捨てが起こらない方法で試験を実施する」と決議されました。この決議により「イエスはキリストではない」という人をも、自分は牧師になりたいと願うことで試験を受けられることになりました。76年の第5回常議員会では信仰告白を重んじる人々により「教団信仰告白を基準とし、教憲教規に基づいて試験を実施する」ことが決議されましたが、常議員会が正反対の決議を行ったために、矛盾を指摘する人々により教師検定試験問題は泥沼化していきました。

「対話路線」を標榜する戸田伊助議長の下の教団では福音信仰の根幹を否定する意見まで許容されるのではないかとの危機意識を抱いた牧師信徒達は、1977年に福音主義教会連合を発足させました。「福音主義教会連合」は独自の試験を数年実施しましたが、試験実施を巡って立場の相違が表面化していきました。また教団内ホーリネスの群の教師達の中に「様々な立場を切り捨てない教師検定試験」を受験しない教師達が現れ、試験を受ける教師達と受けない教師達に分かれるようになりました。受験拒否者を指示するグループはホーリネスの群教会連合(議長本間義信 以下ホ群教会連合)を発足させ、独自の教師検定試験を1984年以後実施するようになりました。

ところが群教会連合の独自の試験を巡って、ホーリネスの群に所属する教会は、ホ群教会連合に対して大きく二つの立場に分かれました。一つは、<教団の現状を鑑みて、ホ群教会連合が教師検定試験を実施するのはやむを得ない>とする立場と、もう一つは<ホ群教会連合の独自の試験は教団内において新たな教会性を造り上げるもので、問題である>とする立場でした。そして、<ホーリネスの群を日本基督教団に属する教会と日本基督教団に属さない教会との両方を包む組織に変えよう>とする動きの中で、<ホーリネスの群とホーリネスの群教会連合は別組織とする>ことが1987年のホーリネスの群の年会で決議がなされました。しかし、翌年の年会では<ホーリネスの群は日本基督教団に属する教会のみによって構成され、ホーリネスの群教会連合はホーリネスの群に属さない>との決議がなされました。その決議に基づき、東京聖書学校の校長であった小出忍、本間義信等のホ群教会連合に属する教師達の学校からの辞任が求められました。また、ホ群教会連合をも含めてホーリネスの群とすることを求めていた淀橋教会、浅草橋教会など数教会がホーリネスの群の現状を鑑み、ホーリネスの群から離脱することとなりました。

このような状況の中で、東京聖書学校の学生9名が、ホーリネスの群の新しい動きに反対して、自主退学しました。この9名の学生の神学教育のために、またホーリネス信仰の継承のために、日本基督教団に属しつつホーリネスの群を離脱した東京聖書学校の教師達(黒木安信、峯野龍弘)とホ群教会連合の教師たちが協議し、ウェスレアン・ホーリネスの信仰に立つ超教派神学校を設立し、浅草橋教会を教室としてウェスレアン・ホーリネス神学院(小出忍学院長)を開校することを決意しました。それに伴い、日本基督教団に属しつつホーリネスの群を離脱した教会が、新しい組織であるホーリネス福音同志会を1988年5月6日に結成し、ホーリネスの群教会連合と合同して、ウェスレアン・ホーリネス神学院の運営に当たることとなりました。

その後両団体は合同して、遂に1992年6月26日(弾圧記念50周年記念日)にウェスレアン・ホーリネス教会連合が結成され、更に11年後の2003年3月には教団教規を決議して、ウェスレアン・ホーリネス教団(峯野龍弘委員長)として新たな歩みを開始したのです。ウェスレアン・ホーリネス教団の形成過程において、わたしたちは日基教団の歴史を共に生きたのでした。このことはホーリネス系の教派の中でも特異な存在となりました。監督制から委員会制・会議制に移行し、四重の福音とホーリネス信仰を強調する運動体から信仰告白をもつ教派になったのでした。教団紛争当時、わたしたちの先輩は信仰告白の堅持を強調し、訴え続けましたが、紛争の相手側の多くは日本基督教団信仰告白を否定しまた「戦責告白」の優位性を強調する人々でした。信仰告白を堅持するというわたしたちの立場は日基教団を出た今も変わらないのです。その意味で、ウェスレアン・ホーリネス教団は日本基督教団信仰告白を、わたしたちの今ある状況の中で新たに継承し直し、ウェスレアンの信仰的立場より新しい言葉で告白しています。(ウェスレアン・ホーリネス教団「信仰告白解説」より転載)